アンダーライン ~ 「いのちのつづき」第一話

アンダーライン ~ 「いのちのつづき」第一話

 

「ここはね」と、書きながらもっと伝えたかったことをまとめています。
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2015年4月28日発売「サンデー毎日」(5月10・17合併号)34ページ~inochi2
「いのちのつづき」第一話

 

34ページ 大使館画像2枚

その1
上が旧大使館、下が現在。この外観は空爆を逃れたためそのままだが、一つ違うところが。 それは菊のマーク。
このマーク、オリジナルは空襲の折、金箔の一部が剥がれたらしい。
日独センターにすべく工事が進んでいたある日。修復家が菊の御紋を磨いていたら、ペコッと一部が取れて穴が開いてしまった。「修復」の領域での修繕は無理になり、新調するしかなかった。
当時のオリジナルは木箱に納められ、館内に置かれていたが、今その箱の行方を知る者はないという…。

その2
建物左のほうの小さな扉の両側に狛犬がいる。 しかしこれ、ドイツ側が一方的に取り組んだ建築物なものだから、この狛犬もドイツ生まれ。バイエルン州の彫刻家の作品らしい。
よって2匹とも、狛犬のはずだが「あうん」の口ではなく、両方閉じている。

その3
現在は頑丈な鉄の格子に囲まれた大使館、旧大使館時代は柵がまったく付いていなかった。
1945年4月30日のヒトラー自殺の時点でドイツは陥落したも同じ。
ヒトラー総統の自害は当初伏せられていたが、5月1日の夕方のラジオ放送で訃報が伝えられた。
市民は複雑な思いでこの放送に耳を傾ける。
翌5月2日の早朝。大使館敷地内に突然ソ連兵が現れる。
館内は騒然。
館内に入り込んだ兵士たちは館員から腕時計を奪い、敷地内に停めてあった車もすべて持ち去られた。

 

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『独逸月報』の画像

第2話が文字数がかなりあるため、ゆったりめに見せることができる第一話に差し込まれた画像。
第二話で「日本村」が話題になるので、本号、捨てずに保管しておいてください。

 

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「ベルリンにはかつて16万人以上のユダヤ人が暮らしていた」
「16万人以上」と「以上」なのは、端数を切り落としたという意味ではない。
なんでも正確に知りたがるドイツ人。ナチスもまさしくそうであり、何人のユダヤ人が存在するのか行った調査は、1933年と39年の2度。
しかしこの調査はまったく規定が異なる。
33年は単にユダヤ人教の教会簿から割り出した。その数が16万強。正確に言うと、160564人(出典:「1933年6月15日実施国勢調査報告書」ドイツ帝国統計局1936年Bd.451-5)
しかしユダヤ人でキリスト教に改宗した人もかなりいた。
あるユダヤ人女性が鴎外の恋人だとする説があった。
その女性は既婚で小さな子が二人いた。教会簿を知らべていた時、この女性の名を見つけて驚いたことがある。キリスト教の教会簿に彼女の名があったのだから。彼女は子供二人を幼いころにキリスト教に改宗させていた。外国からの留学生との不倫を疑われていたが、本人はそれどころか、家族のあれこれで忙しかったのだ。
ナチスの迫害とは関係なく、ユダヤ人がキリスト教に改宗するケースはよくあった。
そこでしっかりした調査が行われたのが1939年。
この時の調査は血統による。本人の父方/母方、両方の祖父母の血統を書き出すことで、本人に何パーセント、ユダヤ人の血が入っているか調べつくした。
この調査方法の詳細に関しては、『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』(講談社、2011年)

の82ページ~に詳細にわたって説明しているのでご一読を。
1939年に行われた調査は厳密なものであるが、それ以前にユダヤ人の国外追放を行っていたので、この時点で多くのユダヤ人が亡命している。そのため1933年時点のユダヤ人の人口は当時の調査の結果に頼るしかない。しかしながらこの調査は教会員の数を数えたものであるから、実際のユダヤ人の数よりはかなり下回っている。よって「16万人以上」という表現になった。
ちなみに1939年に再度国勢調査が行われたのは、これまで国外追放していたユダヤ人を出国禁止にし国内に留め、ゲットーその他に収容する思惑があったからだろう。
ちなみに1939年の国勢調査で確認できたユダヤ人人口は109573人(出典:「1939年5月17日実施国勢調査報告書」ドイツ帝国統計局1944年Bd.552-4)。この時点で実に6万人以上のユダヤ人が国を追われていたことになる。

 

37ページ/1段目
「まるでスパイ映画の一シーンではないか」
シャヴァク夫妻とのやり取りで、私がそう思った作品はハリウッド映画「Shining Through」。

和訳『嵐の中で輝いて』
嵐の中で輝いて [DVD]

ドイツ語訳 『Wie ein Licht in dunkler Nacht』
Wie ein Licht in dunkler Nacht

マイケル・ダグラスとメラニー・グリフィス主演のスパイ映画で、弁護士事務所に勤めるアメリカ女性リンダがベルリンに乗り込みスパイ行為に励む話。
料理が不得手なのにお屋敷の料理人として入り込む。
ユダヤ人救出劇ばどハラハラするシーンもありなかなか面白い作品。

 

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「ドイツから一等功労十字勲章を受章した」
授与したのは当時のヴァイツゼッカー大統領。
古賀氏の尽力で日本国内でのドイツワインの需要が驚くほど伸び、ワインを通して日独交流の懸け橋となったと感謝されたそうだ。

 

37ページ/2段目
「空爆で都心部の90%以上が廃墟と化し」
ウンター・デン・リンデン周辺はほとんど焼野原。
『それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影』(講談社、2013年)

の353ページに掲載した写真参照のこと。これがベルリンの中心地とは思えない惨状。

 

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「当時「シュテットル」と呼ばれた東欧の片田舎」
シュテットルのユダヤ人たちを描いた素晴らしい映画作品がある。
『Yentl/愛のイェントル』

女性が学ぶことがサタンの仕業だと信じられていた時代のユダヤ人社会に生まれ、学ぶことを渇望した女性の話。
バーブラ・ストライザンドの歌声は神の賜物。
アールヌーヴォーの時代でどのシーンも美しいことこの上ない。
六草いちか、生涯に観た映画TOP5に入る映画。
この作品、初めて知ったのはNHKの放送。日本語字幕が付いていた。
なぜ日本語版のDVD発売されないのだろう。こんな秀作なかなか巡り会えないのに。日本の映画事情七不思議のひとつである。